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2007年8月

2007年8月30日 (木)

新学期は9月3日から

 「夏休みも後一週間で終わりやね~。充実した夏休みやったかえ~」

と24日の夜の授業の終わりに、作文用紙を配布しながら塾生たちに話しかけると、

「先生、まだ今日入れたら十日あるで~」

という返答がありました。ええ~、そんな馬鹿な~と思ってカレンダーを見てみると、9月1日は土曜日、2日は日曜日で夏休みに引き続いての連休ではありませんか!夏休みを二日よけいに与えられたようで、みんな喜んでいます。

 ある中学校など、3日はお休みにして週末・8日の土曜日を実力テスト日に当てているそうで、新学期は4日からということで、驚きました。学校の先生が羨ましい限りです。

 地方公務員である学校教諭を職業として選択し、大学で猛勉強をし、部活・サークルなどで人間性や人柄も磨きをかけ、難関の教員採用試験を突破するべく受験勉強に勤しむことで手にした安定した社会的身分なのでしょうから、私などが嫉妬して文句を言ったって始まりませんが、自分で自由にできるまとまったお休みがこれほどたくさん与えられる職業っていうのは他に見当たりません。

 種々の研修やクラブの指導、日直などで忙しいと言えば忙しい夏休みかも知れませんが、教師の最大の仕事は生徒・児童に学習指導をすることなのですから、それから一ヶ月半も解放されるっていうのは本当に仕事から解放されるっていうことだと、私には思えるのですが・・・。あまりにうがった見方に過ぎるでしょうか?

 学校教諭に採用されるのはなかなかに難しいと聞いていますが、「なったもの勝ち」って感じで、いったん先生になってしまえば、そこそこの給料、ボーナスを定期的にいただけ、様々な恵まれた援助が公的に当たり前のように受けられて、年功序列的に給与は上がっていき、夏・冬・春には長期休暇が与えられ、指導力の如何にかかわらず毎年生徒とクラスをあてがわれ、よほどの不祥事を起こさない限りは教諭の職を剥奪される可能性はゼロに等しく、親方日の丸ですから会社の倒産の危機はなく、つつかがなく勤め上げればかなりの金額の退職金をいただける。

 実に実に羨ましくて、妬ましいですね。人を羨ましがるのは人間として恥ずかしく、みっともないことではありますが、まあこの恵まれ過ぎた身分を傍から見ていると、羨望の恨み言の一つも言いたくなってしまいますよ。

 これで休み明けの実力テストに、夏休み宿題のサマーテキストなどの「付録のテスト」なんかを出したりする人もいらっしゃいますし、生徒が一生懸命やりきった宿題にハンコをぽんと押すだけの方もいらっしゃいます。先生の工夫や努力や情熱が感じられないときには、

「実力テストの問題くらい、研究して自分の手で作ってくれよ」

「生徒の努力には、誉める言葉や激励のコメントで報いてほしいよね」

と生徒とともに嘆きたくなりますが、まあこれも制度の中で自然と培われてくる先生気質ですから、文句を言ったって仕方ないことではあります。

 それにしてもこの長い夏休みの宿題、「夏休みが勝負だ」なんて偉そうにのたまって、生徒たちに市販のサマースキルなどを丸投げしておいて、その解説も解答も渡していない御仁もいらっしゃるのには開いた口がふさがりません。一生懸命やっている生徒に、「間違った解き方や考え方」が定着してしまうではありませんか!

 解答を丸写しして提出すなどという不心得者の生徒(まるで学生時代の私みたいな・笑)がいるからという理由で、解答や詳しい解説の付いた別冊を渡さないというのであれば、真面目にこつこつとこなしていく生徒たちにとっての一ヶ月半分の宿題の意味はどこにあるのでしょうか?

 学校により宿題形式はまちまちですが、疑問に感じることが少なくありません。

by kururin

2007年8月24日 (金)

おやじだぁ

数ヶ月前、「いらっしゃいませ、こんにちは~ぁ!」と顔も見ずに挨拶(?)をする大手○ーソンのコンビニで買い物をしてレジでお金を払い、おつりを受け取ろうとすると、私の手がばい菌であふれているかのごとく、店員の手が私の手に触れないようにおつりを手のひらに放り投げてくれました。

昔取った杵柄で何とかキャッチしましたが、キャッチボールの練習をしていない人だったら落としていたかもしれませんね。

自分もそれなりの「おやじ」になったのだなぁ、とつくづく感じされました。・・・

なお、その○ーソン系列の店には二度と足を踏み入れてないことは言うまでもありません。

               izutch

2007年8月20日 (月)

ハードディスクが

いつものようにパソコンの電源スイッチを入れても、黒い画面から進まない。
いったん電源を落として再度スイッチを入れるもやはりWindowsが立ち上がらない。
しばらく時間を置いてやってみるも結果は同じ。

マイクロソフト社に電話して指示を仰ぎ、「修復」,「再インストール」を行うが、途中でエラーコードが出て、そのコードNOを伝えると、「当社ではこれ以上対応できません。」との返事。

これまでさまざまなトラブルをなんとかクリアしてきたが、今回はまったくお手上げ状態。仕方なくパソコンショップに持ち込んで調べてもらうと、ハードディスクが壊れているとのこと。

ハードディスクの交換だけなら簡単だが、問題は外付けハードディスクに保存していたはずのデータが初回(2月)以降更新されていないことと、さまざまなソフトのインストールを一からやり直さなければならないこと。

考えに考えた挙句、無理かもしれないが一応やるだけはやってみようと決断。壊れたハードディスクは回転はしているようなので、スレーブとして接続し、祈るような気持ちでデータを探したら、『あった。見つかった・・(^o^)/・・ありました。よかった。』
―――最大の関門突破!!―――

ところが、会計ソフトがどうしても見つからない。データはあるのだが動かない。おまけにCDの入ったパッケージを誰かが持っていったまま行方不明。
今年のこれまでの入力が水の泡になるのはつらいし、くろしお進学会の会計決算もできないので、ソフトを購入することに。
およその値段をネットで調べてからパソコンショップに行って値段を見ると、33,000円。エッ!ネットでは28,000円前後だったので、ビビッてしまって買わずに帰ってくる。
再びネットで調べると、26,200円のショップを発見。さっそく注文。
―――2番目の関門も突破できるであろう、たぶん―――

しかし、まだ住所録の問題が残っている。
これも、データは残っているが動かすアプリケーションがどこにも見つからず、インストール元のCDがない???
そこで、残っているデータが変換できるとパッケージに書いてある安いソフトをパソコンショップで1,897円で購入してインストールしたが、住所録のデータの変換ができない。ユーザー登録も途中で画面が次へ進まなくなって質問もできない、電話は受け付けない。なんじゃこりゃ、詐欺じゃ!!
そういえば、このメーカーのソフトはこれまで一度も良かったと思ったことがなかったなぁ。どうも相性が悪いようだ。二度と買わん!
―――関門その3は、いまだ未解決―――
 

2007年8月17日 (金)

理科実験

 この前の日曜日、高専の実験教室に生徒たちと行ってきました。午前は化学の実験、午後は物理の実験でした。高専の教授の指導で生徒たちが実験に参加します。中学校では、先生が実験をして生徒がそれを見ているだけというところもあるので、生徒自ら実験できるのは大変勉強になったと思います。私も塾では教える側なので、教授の授業を聞くことで学ぶ立場になり、大変勉強になりました。

 私は、今回、高専の実験教室に行くとき、悩みがあり、心が重かったのですが、教授の授業を聞いてすっきりして帰ってきました。それは、生徒を確実に希望校に合格させる方法を見つけようと日夜悩んでいたのです。もちろん、今までの経験上こうしたらよいというのを持っていたつもりなのですが、少し自信がなくなりつつあったのかもしれません。それが高専の教授の話を聞いてすっきりしたのです。

 それは何かというと、当たり前ですが、教授の教え方がすばらしいということです。こういう教え方もあるのか、私自身、まだまだ教えるために精進しなければならないと思ったしだいです。悩んでいる暇はなかったわけです。

 来年も実験教室をやりたいとの教授のお言葉を大変うれしく思い、帰途に着いたしだいです。

 by ロックン

2007年8月13日 (月)

家庭教師の思い出

 高校野球が始まりました。三日目の試合で、東東京代表・帝京高校が見事な勝利を収め、甲子園に校歌が高らかに鳴り響くのを聞いていると、自分の大学時代の「家庭教師」のアルバイトを思い出します。

 大学1~2年次に、1年半の間指導した中学生が、帝京高校に進学したからです。受け持つ時には、立教高校を志望していたのですが、私の指導力不足から立教レベルの偏差値まで学力を伸ばすことができなかったのです。

 当時、帝京高校はサッカー部が全盛の時代で、中学ではサッカー部に所属していたその子は、まあまあ喜んで帝京に進学してくれたのが救いでした。

 私は大学進学した当初のアルバイトは、絶対に肉体労働に限ると自分で決めていました。自分の知識の切り売りをして短時間に楽に稼ぐことのできる家庭教師や学習塾の講師は、若者のするべき仕事ではないという、頑(かたく)ななポリシーを持っていたのです。

 中央大学・法学部に進学した土佐高の先輩が、家庭教師を掛け持ちして稼ぎまくっているという自慢話を聞いて、心ひそかに軽蔑の思いを抱いたくらいです。それが、立教大学柔道部の同僚が、同じ仲間の札幌南高出身の秀才(現在日本IBM勤務)に家庭教師を依頼していたのですが、体調を崩して持病の喘息を患ってしまったものですから、急遽ピンチヒッターとして私は家庭教師の仕事に手を染めることとなったのです。

 初めての授業に向かう道すがら、緊張感と不安感に武者震いをしたことを覚えています。西武池袋線・江古田駅から日本大学・芸術学部前を歩いて10分ほどの住宅街に出向いて、毎週水曜・金曜の7:00~9:00時までの授業でした。

 お父さんの職業は、「会社社長」だそうで、大きなお宅におうかがいした時は、玄関にポメラニアンがきまって出迎えてくれたものです。その中学生はとってもハンサムで、趣味はゴルフ。

「この間のコンペで、ホールインワンしちゃって、ご祝儀を出すのに苦労しちゃったよ」

「バレンタインデーにはチョコを貰いすぎちゃって困っちゃう。先生、分けたげようか」

などと私の住む世界では聞くことのない、生意気なことをいう子でした(笑)。

 夕食・おやつ付きで、月謝が60,000円、交通費が5,000円でしたから、時給にするとかなりの金額だったと思います。

 経験も実績もない学生に支払う月謝としてはべらぼうで、支払っていただくこちら側でさえ、「東京のお金持ちの家は違うなぁ」と驚き感心しました。28年前のことですからお金の価値も違いますが、私の6畳一間の下宿代が20,000円でしたから、家庭教師のバイト代はものすごく価値のあるものでした。

 その生徒の部屋には、小さなTVも置いてあり、その頃シリーズが開始されたばかりの「金八先生」を一緒に見ては、あれこれと意見を出し合ったりしていました。おやつを持って階段を上がってくるお母さんの足音を聞いて、二人でさっと「勉強している体勢」に戻したりという、まったくちゃらんぽらんな先生でしたよ(笑)。

 それでも生徒も、お母さんもとっても私のことを気に入ってくれて、勉強するときは一生懸命に勉強し、お母さんは優しく接してくれ、腕によりをかけて夕食を準備してくれました。牛肉の分厚いステーキ、山椒を振りかけて食べる本格的な店屋物の「うな重」を出してもらった時は、興奮して感激し、しばらく眺めてから、ものすごい勢いで平らげました。

 本物の、国産マツタケ入りの炊き込みご飯を頂いたことがありますが、味はあまりわからなかったです(笑)。マツタケご飯なんて、後にも先にもその時っきりの体験でした。

 進路相談とかで、池袋の喫茶店でお母さんと二人で面談した時、お母さんのファッションはワンピースに毛皮のコートで、なにかしらドキドキしました。まだまだ若くて美しいミセスでしたから・・・。純情で硬派の若者だった私は、気恥ずかしくてどぎまぎしてしまいましたが、今の手八丁口八丁、女性の扱いを心得た私だったとしたら・・・と残念でなりません(笑)。

 とまあ、そんなこんなで一年半受け持った生徒を無事、帝京高校に合格させた後、お別れの時を迎えました。この家庭教師の経験がもとで、子どもたちに勉強を教えながら自分の人生の成長と軌跡を重ね合わそうという決意をしたのですから、世の中はどう転ぶかわかりません。

 楽してお金を稼ぐのは嫌いだ、なんて言っていたのが、家庭教師や塾講師は素晴らしい、教えることは学ぶこと、興奮と感動に満ち満ちた仕事だ、なんて180度考え方が変わったのですからいい加減なものです。でも、不思議なことに、その道を自信と誇りを持って、ひたすら歩み続けています。

 最後の授業の時に、その生徒に色々と高校生活での留意点を話し、激励し、お礼と感謝の言葉を述べた後、一言家庭教師での感想を伝えました。

「何が驚いたかっていうと、一番はやっぱり、君のお家にお邪魔する度に上履きのスリッパが変わっていることだったよ。お金持ちは、やっぱり違うよね」

「kururinさん、それ違うよ。kururinさんが一度履いたスリッパってさ、臭くなっちゃって、もう履けないから、ママが捨てちゃうんだよ」

「え~、そ、そんな。それならそうと言ってくれればよかったのに・・・。ゴメンナサイ」

 大学に合格して上京する際に、父は奮発して私に靴を買ってくれました。人間は足もとが大事で、みっともないものを履いていると「足許を見られる」と言って軽く甘く見られるからねと言って、リーガルのウイングチップの革靴をプレゼントしてくれたのです。

 その靴を大切に履くのはいいのですが、ソックスを2日連続履いたり、コインランドリーに洗濯しに行くのが面倒くさくて、押入れにポイポイと入れておいたのを、箪笥(たんす)に予備がなくなった非常事態に「くんくんくん」とにおいをかいでから、一番においのゆるいのを履いたりしていましたから、こういう事態を招いたのでした。

 自分の臭いは自分には気がつかないものです。こんな不潔な、臭い、むさくるしい学生アルバイトを慕ってくれた中学生(勝君という名前でした)、優しくいつも笑顔で迎えてくれたお母さまに、今でも感謝の気持ちでいっぱいです。

 この貴重な家庭教師の経験で身につけたちっぽけな自信を胸に、田舎で学習塾を開く決心をする事ができました。

 鼻が曲がるほど臭い足でずかずかと上がりこみ、綺麗なじゅうたんを踏みつけ、スリッパを毎回捨てさせてしまった貧乏学生は、お蔭様で、今でも元気溌溂、毎日充実感に満ち溢れた時間を過ごさせていただいております。

by kururin

2007年8月12日 (日)

多数の出会いに感謝

 チラシ無しの夏季講習に参加してくれた人たちは、全員が続けて夏季特別講習(=8月分集中授業)に参加してくれています。そして、全員が9月からは正式に入塾してくれることになりそうです。(最遠方のT君は、今しばらく続くクラブ活動を引退してからの参加。)

 夏季からの参加者のほとんどは、かつての塾生の諸君の兄弟姉妹です。塾OB・OGのみんなや保護者の方々との信頼関係が、固く結ばれているのを実感できてとても嬉しいですし、縦の繋がりや心の絆の存在をありがたく思います。

 そして般若嫁のかつての教え子&今の塾生たちの友だちも、ここの学び舎に集まってくれて、ともに学習に励んでいます。宣伝は全くしていないにもかかわらず、こうして集ってくれる塾生たちを心から愛おしく思います。

 もちろん在塾生たちは一人ひとりが、可愛くてなりませんから、時には厳しく、時には優しく、とことん寄り添い、分かるまで徹底的に教えるのです。

 家族旅行や海外短期留学などで、夏季講習は来られなかった人たちも、8月に入り続々と帰ってきてくれました。そうして、中3クラスは今年度も信じられないことに「30名」の大台を突破してしまったのです。これに勝る喜びはありません。

 開塾して25年。5期生の時から30名を超え始め、今年で20年連続になりました。これは奇跡です。特に最近では、近隣の小中学校の少子化が激しい勢いで進んでいますから、本当に信じられなくてありがたく思います。

 中2クラスの雪崩現象という不安をかきたてられる情況もあり、今後は厳しくけっして楽観視できませんが、今の最高学年の盛り上がりは素直に喜び、多数の出会いに恵まれたことを感謝しつつ、最高の成果が出せるように塾生の諸君とスクラムを組みながら、毎日の授業を充実したものにしていこうと思います。

by kururin

2007年8月 8日 (水)

受験生と味わう花火大会

 今夏の中3クラスの講習生は、3名。久礼から一人、久礼の向こうの上ノ加江のまだ向こうの矢井賀から一人(矢井賀小に勤務しているうちの般若嫁の3年前の教え子です)、そして野見・大谷を経由して半島をぐるりと周ったつき当たりの中の島から一人です。

 みんなかなり遠方から通ってきてくれて、とっても嬉しくて、同時に強い責任感を抱きます。面白くてよく分かって、これからの受験勉強の導火線となる刺激的な授業を心がけています。

 外部からのやる気に満ち満ちた講習生の学習に打ち込む姿に、在塾生も大いに刺激を受けて、普段にも増して真剣な眼差しで授業を受けてくれているのが嬉しいです。お互いに切磋琢磨し学力を伸ばしていって欲しいです。

 違った学校の者同士が、2週間のあいだにすっかり打ち解けて、休み時間に卓球に興じたり、話の輪を作って大声で笑いあっている様子も、私の目には微笑ましく映ります。

 優しく思いやりのある生徒が多く、一人で初めて塾に来て不安と緊張のさなかにある気分をほぐしてあげようと、さりげなく声をかけてあげられる生徒の心根に私は感心し、感謝します。

 2週間の夏季講習の締めくくりの今日は、午後8時から富士ケ浜での花火大会です。台風襲来や太平洋のうねりのため開催が危ぶまれましたが、昨日予定通り実施が決定されました。今日の午後5時頃には激しい通り雨もありましたが、今はすっかりと上がって花火日和となりました。

 花火に行きたい人は、今日は午前9時からと午後4時からの2部に先に来て勉強を済ませました。中3クラスの授業は午後6時30分からですが、驚いたことに11名が普段どおり登塾してきてくれました。花火が始まったら授業を中断して、塾の4Fのベランダから一緒に見ようね、昨日そう話していたのですが、予想以上に集まってくれて感激です。

 今、近くのスーパーストアにみんなに買出しに行ってもらっています。200円以内でみんなに自由に買い物をしてもらっているのです。貧乏人の私としては大奮発。当初は「スイカ」を買ってきて冷やしておこうかと思いましたが、数人はスイカが食べられないとか・・・。スイカ大好き人間の私としては信じられませんが、それならばみんなに好きなものを自由に買ってあげようということで、変更しました。

 塾のベランダや階段から眺める花火も、また風流です。受験生時代に塾の仲間や先生と一緒にアイスをなめながら観賞した花火が、心の片隅にいつまでも残る素敵な思い出となってくれたら、とっても嬉しいです。

by kururin

2007年8月 7日 (火)

クマゼミの恋のメロディ

 娘たちが小さい頃、夏になると一緒になって「クマゼミ」獲りに興じました。

 ワクワクして胸躍らせているのは私の方で、無我夢中で蝉を探した幼き頃にタイムワープして、無心の境地に遊びました。

 娘たちは最初は(私の)蝉取り遊びの「ダシ」にされていたのですが、段々と面白さが分かってきたのか、長女なんか2~3年のうちに蝉取り名人に成長してくれました。

 まだ保育園~小学校低学年時代でしたが、私の折れた釣り竿で作った蝉取り網を巧みに操って、クマゼミを次から次へとゲットしていきました。

 虫かごにいっぱいになったクマゼミは、家に持ち帰り、長女の誕生を祝って塾の庭先に植えた陽光桜の幹に留まらせて、自然に飛び立っていくようにしました。上の方に這っていったり、枝にしがみついて鳴き出すのを嬉しそうな表情で眺めている娘たちの姿を懐かしく思い出します。

 その陽光桜の根元から、今年もいくつもクマゼミがはい出して羽化し、飛び立っています。地中で何年もの間暮らし、ひと時のカーニバルを楽しみ、恋の歌を高らかに叫び、結婚し子孫を次代につないでいくのですね。

 シュンガ・シュンガ・シュンガ・シュンガ・シュンガ・シャンガ・シュンガ・・・・・。

 クマゼミの大らかに歌い上げる恋のメロディは、私の心もハイにしてくれます。大好きな燃える夏の到来です。

by kururin

2007年8月 4日 (土)

音で楽しむ夏

 夏は季節感を「音」からじかに感じることができて、大好きです。聴覚を研ぎ澄まさなくても、ガンガン聞こえてくるクマゼミの鳴き声を筆頭に夏らしさを満喫できる素敵な音に満ち満ちています。

 その中でも最高に味わい深いのは、やはり早朝です。まだ家族は全員すやすやと眠り、夢見心地の夜明け前、うっすらと東の空が明るみ始めた頃、うっそうと繁る城山の森の奥の方から鳴り響いてくる「ヒグラシ」の鳴き声。カナカナカナカナ・・・の音は、優しく耳に囁く、一服の清涼剤となって耳から心の奥底に流れていくようです。

 ヒグラシの鳴き声は、ニイニイゼミとのハーモニーを奏でていますから、よけいに味わい深くなっています。この時刻には私は決まって「おしっこ」のために目が覚めるのですが、トイレの中で耳にするこのメロディーには心癒され、気持ちは和み、心の中もすっかり涼しげになるのです。

 枕草子の清少納言さん風に、「夏はつとめて(=早朝)」とでも表現したくなるような、冷涼感に満ち、しかも幽玄の趣きのあるしみじみとした音が、私の家の周りには毎朝きまって響き渡っているのです。

 二番目に推したいのは、冷たい川にドボンと飛び込み、すーいすーいと泳いでいる真最中にも耳に入ってくる音です。まずは、落差のついた川筋から聞こえてくる「せせらぎ」の音。これを聞くとはなしに聞いていると、気持ちは安らぎ落ち着き、平和な気持ちになって誰にでも優しくできそうな心持ちになっていくのを実感します。

 向こう岸からは、夏らしさをかもし出す、昼日中でも盛んなアブラゼミの鳴き声、鼻をつまんだような発音で「ミーンミンミンミンミー」と鳴くのどかなミンミンゼミの声、そしてどのセミが鳴いていても必ず出てくる(笑)ニイニイゼミとの合奏には、秋の虫の先陣を切って登場してくる「キリギリス」ののん気で優雅なギィーギィーギィィーーーと羽を合わせて奏でる音も混ざり合って、絶妙の交響曲となって私を楽しませてくれるのです。

 音で楽しむ夏。今本番を迎えようとしています。

by kururin

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