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2007年8月13日 (月)

家庭教師の思い出

 高校野球が始まりました。三日目の試合で、東東京代表・帝京高校が見事な勝利を収め、甲子園に校歌が高らかに鳴り響くのを聞いていると、自分の大学時代の「家庭教師」のアルバイトを思い出します。

 大学1~2年次に、1年半の間指導した中学生が、帝京高校に進学したからです。受け持つ時には、立教高校を志望していたのですが、私の指導力不足から立教レベルの偏差値まで学力を伸ばすことができなかったのです。

 当時、帝京高校はサッカー部が全盛の時代で、中学ではサッカー部に所属していたその子は、まあまあ喜んで帝京に進学してくれたのが救いでした。

 私は大学進学した当初のアルバイトは、絶対に肉体労働に限ると自分で決めていました。自分の知識の切り売りをして短時間に楽に稼ぐことのできる家庭教師や学習塾の講師は、若者のするべき仕事ではないという、頑(かたく)ななポリシーを持っていたのです。

 中央大学・法学部に進学した土佐高の先輩が、家庭教師を掛け持ちして稼ぎまくっているという自慢話を聞いて、心ひそかに軽蔑の思いを抱いたくらいです。それが、立教大学柔道部の同僚が、同じ仲間の札幌南高出身の秀才(現在日本IBM勤務)に家庭教師を依頼していたのですが、体調を崩して持病の喘息を患ってしまったものですから、急遽ピンチヒッターとして私は家庭教師の仕事に手を染めることとなったのです。

 初めての授業に向かう道すがら、緊張感と不安感に武者震いをしたことを覚えています。西武池袋線・江古田駅から日本大学・芸術学部前を歩いて10分ほどの住宅街に出向いて、毎週水曜・金曜の7:00~9:00時までの授業でした。

 お父さんの職業は、「会社社長」だそうで、大きなお宅におうかがいした時は、玄関にポメラニアンがきまって出迎えてくれたものです。その中学生はとってもハンサムで、趣味はゴルフ。

「この間のコンペで、ホールインワンしちゃって、ご祝儀を出すのに苦労しちゃったよ」

「バレンタインデーにはチョコを貰いすぎちゃって困っちゃう。先生、分けたげようか」

などと私の住む世界では聞くことのない、生意気なことをいう子でした(笑)。

 夕食・おやつ付きで、月謝が60,000円、交通費が5,000円でしたから、時給にするとかなりの金額だったと思います。

 経験も実績もない学生に支払う月謝としてはべらぼうで、支払っていただくこちら側でさえ、「東京のお金持ちの家は違うなぁ」と驚き感心しました。28年前のことですからお金の価値も違いますが、私の6畳一間の下宿代が20,000円でしたから、家庭教師のバイト代はものすごく価値のあるものでした。

 その生徒の部屋には、小さなTVも置いてあり、その頃シリーズが開始されたばかりの「金八先生」を一緒に見ては、あれこれと意見を出し合ったりしていました。おやつを持って階段を上がってくるお母さんの足音を聞いて、二人でさっと「勉強している体勢」に戻したりという、まったくちゃらんぽらんな先生でしたよ(笑)。

 それでも生徒も、お母さんもとっても私のことを気に入ってくれて、勉強するときは一生懸命に勉強し、お母さんは優しく接してくれ、腕によりをかけて夕食を準備してくれました。牛肉の分厚いステーキ、山椒を振りかけて食べる本格的な店屋物の「うな重」を出してもらった時は、興奮して感激し、しばらく眺めてから、ものすごい勢いで平らげました。

 本物の、国産マツタケ入りの炊き込みご飯を頂いたことがありますが、味はあまりわからなかったです(笑)。マツタケご飯なんて、後にも先にもその時っきりの体験でした。

 進路相談とかで、池袋の喫茶店でお母さんと二人で面談した時、お母さんのファッションはワンピースに毛皮のコートで、なにかしらドキドキしました。まだまだ若くて美しいミセスでしたから・・・。純情で硬派の若者だった私は、気恥ずかしくてどぎまぎしてしまいましたが、今の手八丁口八丁、女性の扱いを心得た私だったとしたら・・・と残念でなりません(笑)。

 とまあ、そんなこんなで一年半受け持った生徒を無事、帝京高校に合格させた後、お別れの時を迎えました。この家庭教師の経験がもとで、子どもたちに勉強を教えながら自分の人生の成長と軌跡を重ね合わそうという決意をしたのですから、世の中はどう転ぶかわかりません。

 楽してお金を稼ぐのは嫌いだ、なんて言っていたのが、家庭教師や塾講師は素晴らしい、教えることは学ぶこと、興奮と感動に満ち満ちた仕事だ、なんて180度考え方が変わったのですからいい加減なものです。でも、不思議なことに、その道を自信と誇りを持って、ひたすら歩み続けています。

 最後の授業の時に、その生徒に色々と高校生活での留意点を話し、激励し、お礼と感謝の言葉を述べた後、一言家庭教師での感想を伝えました。

「何が驚いたかっていうと、一番はやっぱり、君のお家にお邪魔する度に上履きのスリッパが変わっていることだったよ。お金持ちは、やっぱり違うよね」

「kururinさん、それ違うよ。kururinさんが一度履いたスリッパってさ、臭くなっちゃって、もう履けないから、ママが捨てちゃうんだよ」

「え~、そ、そんな。それならそうと言ってくれればよかったのに・・・。ゴメンナサイ」

 大学に合格して上京する際に、父は奮発して私に靴を買ってくれました。人間は足もとが大事で、みっともないものを履いていると「足許を見られる」と言って軽く甘く見られるからねと言って、リーガルのウイングチップの革靴をプレゼントしてくれたのです。

 その靴を大切に履くのはいいのですが、ソックスを2日連続履いたり、コインランドリーに洗濯しに行くのが面倒くさくて、押入れにポイポイと入れておいたのを、箪笥(たんす)に予備がなくなった非常事態に「くんくんくん」とにおいをかいでから、一番においのゆるいのを履いたりしていましたから、こういう事態を招いたのでした。

 自分の臭いは自分には気がつかないものです。こんな不潔な、臭い、むさくるしい学生アルバイトを慕ってくれた中学生(勝君という名前でした)、優しくいつも笑顔で迎えてくれたお母さまに、今でも感謝の気持ちでいっぱいです。

 この貴重な家庭教師の経験で身につけたちっぽけな自信を胸に、田舎で学習塾を開く決心をする事ができました。

 鼻が曲がるほど臭い足でずかずかと上がりこみ、綺麗なじゅうたんを踏みつけ、スリッパを毎回捨てさせてしまった貧乏学生は、お蔭様で、今でも元気溌溂、毎日充実感に満ち溢れた時間を過ごさせていただいております。

by kururin

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