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2008年3月18日 (火)

国歌静聴

 イデオロギーに係わる話題には、ここでは極力触れないようにしています。人それぞれに思想や理念や考えがおありでしょうから、それを尊重したいと私は考えています。

 国旗や国歌に関することもその部類に入ることですから、若い子たちがよく使うところの「ビミョウ」な感じがして論じたくはないのですが・・・。

 今日、ある学校の卒業式に参列したところ、式の最初に行われた「国歌斉唱」の際に、先生方、生徒諸君、保護者の方々、誰一人として起立することなく、また声を出して歌う人も(私の見る限りでは)いませんでした。(座ったまま、小さな声で歌った人は、もちろんいらっしゃると思います。)

 「起立を促す」司会者の言葉もなく、テープかCDに録音されている国歌が、粛々と体育館内に流れるだけでした。

 難しい問題です。校長先生をはじめ、教職員の皆さんの話し合いで決まっていたことなのか、それとも成り行き上ああいう雰囲気になったのか、私にはうかがい知ることができませんが、ちょっぴり異様な時間ではありました。

 今日の塾の際に、今日卒業を迎えた生徒たちに、

「どうしてみんな国歌を歌わんが?(=歌わないの?)」

と聞いてみたところ、面白い答えが返ってきました。

「歌詞を知らんも。(=知らないからだよ。)それに、国歌せいちょうながやき(=なんだから)、座って静かに聞かないかんがやないですか?(=聞かなければならないんじゃあないですか?)」

 そう答えてくれた彼女は、「斉唱(せいしょう)」を「静聴(せいちょう)」と思い込んでいたようです。

 私の立場は・・・、う~ん、ここで旗幟鮮明にすべきではないと自分で判断して、これ以上は述べないようにしておきます。波風を立てるのは嫌ですから(笑)。基本的には、「どちらでも良い」「それぞれの信念に従えば良い」という、日和見主義ですし・・・。

 でも、東京都の都立の高校などでは、起立、国歌斉唱を自らの信念に基づいて拒否した先生方が、東京都教育委員会などから厳重注意をされたり、処分されたりしていると聞いたことがありますから、それは高知県ではどうなのかなと、ちらっと思ったのでした。

 式そのものは、静粛な中に、別れの感傷と旅立つ希望の交錯したとても素晴らしいものでした。

 それにしても、人生の節目の感動に浸ることのできる卒業式を、進学する高校を決定して、こころおきなく満喫できて、先生方や友だち・後輩たちとの別れを惜しむことのできる人たちがいる反面、明後日(日曜)午前9時の公立高校後期選抜の合格発表を控えて、不安と緊張の思いを抱えたまま、卒業の日を迎えるものとの「気分の落差」はいかばかりのものでしょうか!

 生徒の諸君にその責任の所在があるわけではありません。制度上致し方ないことなのですが、私が県の教育長ならば、旅立つ15歳の春に、もっと晴れやかな気分で、友だちと肩をたたきあいながら、心から別れを惜しみ巣立っていける入試の日程に変更してあげるのにな、そう思います。

 by kururin

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