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2008年6月

2008年6月30日 (月)

自学自習

 自学自習について考えてみます。自学自習をする生徒は学力があると、一般的に思われています。しかし、それはあくまで一般的であって、必ずしも自学自習をする生徒の学力が伸びるとは限りません。

 一般的に、家庭で自学自習をしてほしくて、生徒に宿題を出します。これが問題なのです。私はどちらかというと宿題を出さないほうの種類に属します。しかし、親の要望その他により、宿題を出さないわけではないのです。

 では、宿題を出すのにどのようなことを注意すればよいのでしょうか。宿題を出すには、そのタイミングと内容が大切になります。タイミングには、形式的な面と実質的な面があります。形式的な面とは、その宿題を出す時期です。たとえば、明日学校があるのに、明日までと言って多くの宿題を出すのは論外でしょう。実質的な面とは、出される生徒の今の実力から言ってタイミングが悪い場合があります。たとえば、生徒がその部分が理解できていないのに、理解できているとして練習の意味で宿題を出しても無意味です。

 生徒にその分野を理解させたあとで、タイミングよく宿題プリント(テキスト)を出すことは悪いことではありません。しかし、この場合でも、生徒が家で自学自習できる内容のプリント(テキスト)でなくてはなりません。

                         by ロックン

2008年6月28日 (土)

学区制について

学区制の問題はあくまで公正な視点で判断すべきでしょう。ともすれば、自分の都合のいいように考えがちです。学区内の人と学区外の人とでは微妙に温度差が生じます。その時の基準となるべきものはやはり公正さということでしょう。

そもそも何故高知市内の学校に人気が集中するのでしょう。それは初めから学校間格差が存在するからです。優秀で情熱のある先生をそういう学校に集中させ、私立に対抗させようとしているからです。もし、どこの高校へ行っても同じような学力が付くことを保障するならば、誰もわざわざ遠くまで通ったりはしないでしょう。それが理想的ですし、将来的にはそうあるべきだと思います。教育は地域や育った環境による格差を是正するように働かなくてはいけません。豊かな家庭や有利な地域に育ったという偶然性で将来が決定するような不平等が許されるならばますます格差社会は進行してゆき、殺伐とした世の中となってゆくでしょう。現実として,学校間格差が存在する以上学区制は矛盾しています。あくまで県立高校であって市立高校ではありません。高知市内のみなさんは近くにそういう高校があるだけでも通学の苦労が少なくて幸せだと思いますがいかがでしょう。せめて門戸ぐらいは平等にして欲しいものです。.先日の高知市教育長の話は教育家としての見識を疑います。教育の最も根幹にあるべき平等とか公正という観点がすっかり抜け落ちているからです。つまり正義がないからです。

                          廣瀬

2008年6月27日 (金)

正義の味方

 「正義」を辞書で調べると、「人としての正しいおこない」と書いていました。ついこの言葉が気にかかるほど、今の世の中、正義に反することが多すぎます。私たちがそれぞれ生活し、生きている世界で、正義に反しないように心がけるべきだと思っています。

 最近の関心事の一つに、公立高入試における「学区制」があります。学区制を今のままで維持するのが正義なのか、学区制を変更ないし廃止するのが正義なのか、大変な問題です。

 いでよ、正義の味方!

                         by ロックン

2008年6月26日 (木)

月光仮面

 最近、塾生の一部に映画がはやっている。この前、小学生が「先生、インディジョーンズの音楽の出だしはどんなんやった?」と聞いたので、私が「ジャジャジャン、ジャジャジャン、ジャジャジャジャジャジャジャン」と歌ってやると、「それはゴジラや」と言われた。そこで、「ジャーンジャジャジャン、ジャーンジャジャジャン、……」と歌うと、「知らん」と言われた。私が「月光仮面の歌や」と教えてあげた。月光仮面を知らないとは嘆かわしいことだ!

 「今日、塾が終わったら、すぐ映画を見に行くから、時間通り終わって」と言う。受験生が何たることかと思いつつ、時間通りに終わり、塾生を送り出した。そして、将来正義の味方になってほしいと願いながら、私も教室をあとにした。

                    by ロックン

2008年6月24日 (火)

解答のない問題

 「解答のない問題」を子供にやらせるのはたいへんなことですが、生徒のためになるならばと思い、授業でも取り入れることがあります。それは社会の授業においてです。

 たとえば、こちらが「豊臣秀吉」という用語を与えて、それについて生徒がいろいろ連想するのです。答えがないのですから、何を書いてもかまいません。しかし、何らかの関連は必要ですので、それは最低限度のルールとしています。こちらが関連性はないと思っても生徒の意見を聞いてみると、納得できることもあります。

 今までの経験上、どんどん関連事項をかける子は、社会の学力があったように思います。

                     by ロックン

2008年6月23日 (月)

ガラス張りの塾

 いろいろな学習塾があっていいと思いますが、毎日、子供さんだけ見ていると、背後には親がいるということを忘れがちになってしまいます。

 親は何のために当塾に子供を通わせているのでしょうか。学力を伸ばしてほしいと思っているのでしょうか。はたまた、体験学習をさせてほしいと思っているのでしょうか。そういった親の気持も忘れてはいけないと思います。

 子供に希望校に合格する力をつけてほしいと親が思い、子供も一応そのつもりで塾に来ているとき、合格するだけの力をつけてやるのが塾の役目です。親や子供に、塾をガラス張りにし、この塾に行ったらこうしてくれるとわかる塾にしたいものです。

 お客さんが「そば」を注文したのに、いくらおいしくても「うどん」を出すわけにはいかないのです。

                       by ロックン

2008年6月21日 (土)

ふと思ったこと

さっそくのご解答ありがとうございました。このコーナーはこのような形でいろいろな意見を交換する場になるといいですね。今日はひょっとしたら、われわれは(国家も含め)大変な過ちを犯しているのではないかということに気づきましたので述べてみたいと思います。それは、こんなこと勉強してなんの役に立つの,というよく聞く生徒の愚痴を考えていた時のことです。この生徒の胸には実際の生活にほとんど役立たないことを強制的に習わされているという想いが渦巻いているわけでして、いわゆる勉強ですね。学習意欲が全然湧いてこないわけであります。これに対して、われわれも様々な理由付けを行って納得させようとするわけですが、やはりこれはごまかしではないかということです。

日本の教育は現実問題にはほとんど役に立たないことを無自覚に無反省に生徒に強要しているのではないかということです。これを詰め込みといわずしてなんというのでしょう。

学ぶことは本来将来役に立つものでなくてはいけないと思います。いや必ず役に立つはずです。それが何故こうなってしまったのでしょう。それは、始めに答えありき、の教育だからです。教師はただ正解への道筋を誘導しているに過ぎず、生徒は初めからそのことを知っていますので、これは現実問題の解決能力の養成にはなりえません。なぜなら、現実の様々な問題には正解は存在しないからです。答えの無い問題をいかに過ちの少ない手段を選択するかという意思決定の問題になってきます。その時もし他の重要な情報が入っていたら、別の選択肢があったかもしれません。つまり現実はその時その時の限られた情報の中から一つを選び取っていく行為です。そう考えますと、始めに答えありき、の教育では全く現実には役立たないことになります。入試とか資格試験のような初めから答えのあるものには役立ちますけども・・・

例えば、生物の授業を考えて見ましょう。私はよく理科の先生に、実際の植物を取ってきて見せるようにお願いしています。(双子葉類と単子葉類の違い)幸い、私の塾の周りは自然がいっぱいです。しかしそれもよく考えますと、はじめに答えありき、ですね。なぜなら、教師の方でその違いをきちんと整理して説明するからです。本当は、いくつかの植物を雑多に机に並べ、生徒自らでその違いに気づき整理分類できるようにすべきではないでしょうか。その時少々の間違いなんて問題ではありません。

いろいろごちゃごちゃとなってきました。要するにいいたいことは、この21世紀を生き抜く力をつけるためには正解に導き暗記させる教育ではどうしようもないのではないかということです。国家の教育投資における経済効果を見ましても日本は先進国中最下位のレベルに甘んじています。いかに役に立たない教育に国民の貴重な税金を浪費しているかの証です。その点北欧は世界のトップレベル、さすがです。

私は定期テストなども、450点を超えればその先は無理に追及しないようにしています。もっと大切な何かをその代償に失って欲しくないからです。いわゆる、ガリベンにはなってほしくないからです。けれども平均点は大いに気になります。二極化は避けたいですからね。われわれの仕事の性格上、学校の成績を無視するわけにはいきません。(いつか、そうなりたいですけどね、私も弱いです)しかし、それを無自覚に追求しすぎるといろいろと弊害も生じてくるという思いを胸に秘めておくことは大切なように、今の私は思っています。学ぶことは将来必ず役に立つんだと、胸を張って言えるようなそんな授業を確立したいものです。ご批判まっています。

                               廣瀬

2008年6月20日 (金)

続私の指導法

 小学6年の算数も基本的には、中学3年の数学と同じ指導法です。問題集をどんどんやらせるのは、その子に力をつけさせるだけでなく、スピードが遅い子にプリントを済ます時間を与えるためでもあるのです。ただし、中学3年と同じ授業をしていると、「先生はただ丸をつけているだけじゃないか」などと言われてしまいます。同じことばかりしていると飽きてしまうのです。そんなときは、一斉授業で新しいことを黒板で教え、知的好奇心をくすぐることにしています。そうすると、飽きてしまっていた子もさらに勉強に身が入ることになります。

 集団指導はいろんなバリエーションに対応できるのです。

 2時間ずっと各生徒の机をまわっていると疲れます。この指導法を続けるには体力作りも必要だと思っています。

                     by ロックン

2008年6月19日 (木)

私の指導法

 いろいろ指導法はあると思いますが、私の指導は、外観は集団で、中身は個別です。

 生徒を個別のブースに入れることなく、生徒は原則として同じところを勉強するのですから、外から見ると集団指導になるわけです。しかし、内実は、各生徒は自分のペースに合わせて勉強しているので個別指導になります。

 昨日の中3の数学の授業では、手作りのプリントB5用紙(7枚用意)を生徒の進度に応じて配り、各自にやらせます。私は、机をまわって丸をつけます。そのプリントが終わった人は、塾専用の問題集をやらせます。その問題集は、各自ペースがちがっているので、やっているところはバラバラです。ただし、みんな平方根のところをやっています。これで2時間たっぷり勉強します。

 集団指導の形をとっていますから、私がある生徒を指導しているとき、他の生徒は教えあっている場合があります。いいことだと思っています。できるだけ何回も生徒のところにまわっていきたいので、できるだけ教えません。丸をつけたり、まちがっているところに線を引いたりするだけです。ただし、大事な言葉は繰り返し言っています。

 昨日、中3生がうれしいことを言ってくれました。「先生、中間テストの数学で、学年でわたしだけが100点やった!」

 自分のやり方に少し自信を持った瞬間でした。

                  by ロックン

どなたか教えてください

最近、ある本を読んでいますと、あ、そうなのか、と思うことに出会いました。

それは、子供は私たちが思っているよりよっぽど能力があるもので、必ずしも系統的に、基礎から順番に積み重ねる必要はないというものです。

子供の頭脳は私たちが思っているよりはるかに柔軟で、少々のハンデはのりこえられるそうです。但し、それには条件があって、次のとおりです。

1、楽しい、わかったという実感の持てる授業を創ること。

2友達との関係のなかで本来の能力を発揮させることが肝心。

特に、2番が重要で子供どうしの豊かな交流の中で多様な発想のもと、さまざまに啓発しあうことが重要だそうです。

もし、それがうまく出来たならば、少々基礎がぬけていようが問題はないそうです。私は常々、個別指導には疑問を感じていましたが、思わぬところでその論拠を得てとても嬉しく思いました。集団の力で伸びるということは経験上実感しているところでありまして、多様な仲間のなかで、励ましあい、研鑽しあってこそ豊かな人間性が育まれ、また、柔軟な頭脳も育つようにおもわれますがいかがでしょう。

ただ、そうはいいましても、実際問題として、授業の中で全く個別学習を行わないかといいますと、そうもいきません。後から入塾した子のケアや、演習になりますとつい、個別になってしまいます。出来るだけ集団での授業を多くしようと無い知恵をしぼっていますが、みなさんのところでは、どのように対処されているのでしょうか。

おかまいなければ、ぜひ教えてください。

 

  

  最近、このブログのアクセスがとても増えています。

これも、ひとえにロックンの毎日の努力のたまものですね。

頭が下がります。

                         廣瀬

2008年6月18日 (水)

高校再受験クラス

 平成8年に、思いがけなく、高校再受験生9名を引き受けることになりました。今までやってきた塾がやめるということで、それを引き継いだわけです。

 朝から授業を始め、午後3時までやることになります。午後5時からは平常の授業がありますから大変なことです。そこで、くろしお進学会の何人かのメンバーに講師にきてもらうことでやることにしたのです。

 高校に不合格になるにはいろいろ理由があるのですが、その一つとして中学時代にヤンチャであったということがあります。ヤンチャな生徒が私の塾の前に自転車を並べていたので、私が「どうするのか」と聞くと、これから自転車で競走するのだと言う。「やめろ」と注意しても聞いてくれません。そこで、「もう塾に入ってくるな」と言うと、やっとやめました。ここを居場所だと考えているなと思いました。そういったヤンチャな生徒が多かった第1期生、それから、不登校ぎみの生徒が多かった年などいろいろあり、思い出も多くあります。その高校再受験クラスも時の流れにより、平成19年度は1名でした。

 先だって、車を出そうとしていると、私のほうをじっと見ている男の子がいました。高校の夏の制服を着てにっこりとしていました。昨年度の高校再受験クラスの生徒でした。なぜか、これで、未練なく高校再受験クラスの幕を閉じることができると思いました。

                     by ロックン

2008年6月17日 (火)

スポーツ大会

 くろしお進学会結成当初からやっているイベントとして、スポーツ大会があります。第1回は須崎で開催し、佐川でも行われました。今年は、須崎でソフトボールやスカッシュバレーを行う予定です。地元のくろしお進学会会員塾のお世話で、毎年、有意義に行われています。参加会員塾はこの大会に対する思い入れも大変なものでしょう。

 先だって、私の塾に25歳になった男性が訪ねてきました。元気に働いているという報告をかねた来訪です。この男性は、高校再受験のため、高知市に下宿して、私の塾に通っていたのです。その男性の思い出の一つとして、佐川でのスポーツ大会のことを話していました。

 その男性が帰り際に「先生、少しやせたねえ」と言っていましたが、私は心の中で、「僕がやせたのではなく、君が大きくなったんだよ」とつぶやいていました。

            by ロックン

2008年6月16日 (月)

公立高入試説明会

 くろしお進学会の活動の一つに公立高入試説明会があります。この公立高入試説明会は、県教委の先生と公立高の先生に来年度の入試の概要について説明してもらうものです。本当を言えば、すべての公立高に説明会に参加してほしいのですが、時間と会場の関係上、一部の公立高にのみお願いしているしだいです。

 夏期講座が始まる前までに、県教委と各学校をまわって説明会に来てくださるようお願いしなければなりません。

 夏期講座が終わった後は、広く皆さんに、公立高入試説明会の開催日等を知ってもらうための活動が待っています。

                    by ロックン

2008年6月14日 (土)

体験学習

小学6年の国語の授業で「車いすの弁護士」についての読解問題がありました。「めずらしい」からそう呼ばれているとのことでした。

「めずらしい」で思い出したことがあります。私が大学生のとき、盲目で弁護士になろうとしている方がいて、その方の支援団体に入りました。盲目の方にとって不都合にならないように司法試験の制度を改革する応援をするのです。たとえば、盲目の方は点字で受験するので、解答に時間がかかります。そこで、点字で受験する場合の試験時間を長くすることなどを国にお願いするのです。このときの体験が私にとってかけがえのないものになっていることにあとで気付きました。

今、体験学習から学力重視へとふりこが振れていますが、少し残念な気持ちがします。ちなみに、支援していた盲人の方は弁護士になりました。

                    by ロックン

夜スペについて

それにしてもロックンの最近の書きっぷりはすごいですね。感心します。ただ塾と学校の連携につきましては私とは全く見解が異なりますので、少し述べさせてもらいます。

  私は学校に塾が入っていっても,いたずらに混乱をきたすだけで,マイナスの要因こそあれ,子供のプラスになることは長い目で見ればまずないとおもいます。

  始めに学校とはどういう場であるべきでしょうか。やはり私は人間を育てる場であるべきだと思います。勉強も確かに大切な要素の一つですが、トータルとしての人間から見ますと、それはほんの一部分にすぎません。こんなことはわかりきったことですね。

  しかし学校に塾を入れることはあまりにも勉強にかたよった発想でいかにも短絡的です。学校の先生のプライドを踏みにじりいたずらに学校現場を混乱させるものです。

  そしてそのような教育現場からはすくすくと伸びやかに子供が成長していくとは私にはどうしても思えません。おそらく、現在行われている夜スペなども大手の塾と提携して行っているものと思われますが,規模が大きくなりますと、どんなにきれい事を言いましても、営利目的でやっていることは見え見えです。早晩さまざまな弊害が生じてくること必定でしょう。

  表面的には塾へいけない子の不平等をすこしでも是正するようなことを言っていますが、本音のところは自分の学校の学力を他校より上げたいというのは明白です。

  受験のための学力の伝達がすこしばかりうまいからといって、営利団体の大手進学塾をそんなにやすやすと学校に入れていいものでしょうか。これは大学に警察をいれる以上の弊害があるように思われてなりません。

   だいたい日本の学力低下云々は受験学力をつけることばかりに専念してきた当然の帰結ではないでしょうか。PISAで問われている学力とは全く異なります。

   もし本当の意味で子供のために本当の意味の学力をつけたいのならば、それは学校の現場の先生にやる気になってもらう以外にないでしょう。校長はそのために存在するのだし、それ以外の意味でその職に在籍する意味はありません。

  大半の学校の先生方は子供のことが大好きで、子供のことならどんな苦労もいとわない人たちではないでしょうか。もちろん、どんな世界にも例外はありますが、、、。

  そういう先生方を崇高な理想でふるい立たせ、子供のためにともに汗だくにになって働く、これこそ校長の仕事ではないでしょうか。

  いささか理想にふけってしまいましたが、教育こそ永遠に理想を追求していくもの、教育から理想が消え去ると、未来は限りなく暗くなります。

                                  廣瀬

     

  

2008年6月13日 (金)

学習塾の進む道

経済産業省による学習塾の統計では、今年4月に、1教室あたりの生徒数が全国的に減っている。これは今までになかったことである。

この統計調査は、平均1教室100人規模の塾対象であるので、ある程度の大手と考えられる。大手は、あらゆる手で塾生確保に努めてきているはずであり、それが前年と比べて4月に全国的に減少となったのである。

この傾向をいち早く察知した大手が、公立中と連携するのもあながち不思議ではない。公立中と連携することにより、自塾の評価を高め、塾生確保へとつなげていくのであろう。

かたくなに、従来通りの塾の方針を守っていくか、広く他との交流を通じて塾の進む道を切り開いていくか、まさにこれからが正念場である。

                 by ロックン

2008年6月11日 (水)

「夜スペ」について

今回の東京出張の目的の一つは、杉並区立和田中学校の元校長の話を聞くことだった。腹をすかしすかし待ってやっと元校長の話が聞けることになった。

「夜スペ」をなぜすることになったかということや、公教育の将来の展望など話は多岐にわたった。私の最近のテーマの一つに「学習塾と学校の連携」があり、その問題に私なりの答えを前々から得たいと思っていた。その答えを見つけることができるかもしれないと思い、元校長の話をわくわくしながら聞いた。

当然ながら、和田中元校長は連携推進派だと思った。そのために塾の協力が必要だと考えていた。しかし、連携を好意的に受け止めている塾が多いとは思えなかった。

「夜スペ」にはある大手の塾が関係している。また、ある大手の個別学習の塾が関係している。それらに対する感情だけで、この連携に対する評価を言うわけにはいかない。「夜スペ」の根本は、元校長の「子どもの学力を伸ばしてあげたい、塾にいけない子どもたちの学力を伸ばしてあげたい」ということだった。そうであれば、子どものために塾が学校と連携することをあながち否定することはできない。

                      by ロックン

2008年6月10日 (火)

東京芸術劇場にて

会場は池袋の東京芸術劇場である。高知のかるぽーとみたいに中央にエスカレーターがあり、一気に5階までのぼっていく。高所恐怖症なので目がくらみそうだった。上りつめて左に行くと、大会議室があった。そこで午前10時半から正午まで塾のシンポジウムがあり、それに参加した。高知県における学習塾と学校の連携について聞かれたが、私にはわかるはずがない。今後の課題だと思った。

正午すぎにおにぎりを2個食べて、午後からのセミナーに参加した。文部科学省による学校支援地域本部事業の説明、学習塾と学校の連携方法について、和田中前校長の話と続いた。

これらの話の途中、腹が減り、休み時間に外で何かを食べようとして下まで降りた。会場の隣の音楽祭で何か食べ物を売っているかと探した。時間がなかったのでせんべいを食べて会場に戻ってきた。

                 by ロックン

2008年6月 9日 (月)

東京出張物語

陸上で踊るロックンローラーは、飛行機が苦手だ。にもかかわらず、7時10分発のANA562便に乗ってしまった。東京で開催される会に出席するためだ。和田中の元校長の講演を聞くためでもある。その会は池袋であった。池袋といえば、青江三奈の「池袋の夜」(あなたに逢えぬ悲しさに・・・)を思い出すぐらいで、今までに行ったこともなかった。

羽田空港から1時間半以上もかかって池袋に着いた。朝から何も食べていない。「武士は食わねど高楊枝」などと言ってはいられない。食べるところを探そうとしたが、時間がなかった。会場の横の公園で音楽祭をやっていた。ロックンローラーとしては血が踊ったが、ぐっとがまんして会場に入った。

                                    by  ロックン

2008年6月 7日 (土)

竜馬がゆく

いろいろなものが値上がりしていく中で、最近のうれしいニュースは、再来年のNHKの大河ドラマに「龍馬伝」が決まったことです。

私は大学生のとき、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を読んで、竜馬ファンになりました。そういえば、高知で四国と北海道の塾の交流会をしたとき、三重県の塾長とその息子さん(当時小学6年生)が来られていたことを思い出しました。

塾長は会に出席し、息子さんは一人で桂浜の龍馬の銅像を見に行くほどの竜馬好きでした。私は塾長が帰られるときに、息子さんにあげてくださいと、「竜馬の脱藩の道」という、切手の貼った巻物を手渡しました。

あとで聞いたことですが、息子さんは大変喜んでいたそうです。その息子さんも今年で19歳になると思いますが、今でも竜馬ファンでいるでしょうか。もしそうなら、今回の大河ドラマの決定に私同様、喜んでいることでしょう。

                           by ロックン

2008年6月 6日 (金)

学校と学習塾の連携

6月6日(金)の高知新聞朝刊に「県立高の学区制廃止を」という記事が出ていました。この記事を読んで、高知県の県立高の学区制は廃止に向かうだろうとの印象を持ちました。

学区制が廃止されると、不登校の生徒に対する配慮は必要でしょうが、一生懸命勉強している生徒にとっては、いい結果をもたらすでしょう。

学区制の廃止のように、今まで変わらないと思われていたことでも変わる傾向があるのですから、これから先、思わぬことが起こっても不思議ではありません。

その一つとして、学校と学習塾の連携があります。東京での和田中での試みが地方にも波及してくるのか興味深いところです。

                  by ロックン

2008年6月 5日 (木)

韓流

忙しいのにまた「チュモン」を見てしまった。そういえば、韓流にはまったのは「冬のソナタ」からだった。主人公が交通事故で死んでしまったと思った。主人公は二役なのかなと思いつつ、つい見てしまった。しばらくすると、ドラマと一体となっている無意識の私を発見した。主人公が画面でお辞儀をして挨拶している。画面のこちらでは、私がお辞儀をしている・・・。

それから、「ホテリアー」と定番通り見てしまった。韓流にはまっておもしろいことに気付いた。自分が何かにつけ影響されていることである。たとえば、「イルマーレ」で、主人公がポストに手紙を入れると、手紙がタイムスリップする。これで、タイムスリップに興味を持っち、クーラーのリモコンが壊れて、壊れていない昨日にタイムスリップするという、考えてみれば何ということのない「サマータイムマシンブルース」を何度も見てしまう。日本版の「猟奇的な彼女」をテレビで見てしまう。

韓流から卒業できるのはいつの日か?

                          by ロックン

2008年6月 2日 (月)

ロックンたいへん記3

模擬試験の監督は大変だ。特に小学生はそうだ。

小学生は試験の受け方を知らない。何気なく横を向いたりする。こういったくせは直す必要があるので監督を怠ることはできない。

書いた答案をそのまま横に置いたりする。表むけたままでトイレに行ったりする。これらの行為は試験を受けているまわりの生徒にかえって迷惑になるので注意する必要がある。

試験を受ける姿勢の悪い生徒もいる。これも早いうちに直してあげたい。学年が上がるにしたがって直りにくいものだ。

試験中は生徒の方に目をむけたり、机間をまわったりして、程よい緊張感を試験会場に漂わせている。

                  by ロックン

2008年6月 1日 (日)

ロックンたいへん記2

やっと3つの模試を作り終えた。前から作らないといけないとわかっているのにいつもこうなる。

模試を作る場合、まず、どういう問題にするか構想を練る。余裕を持って作り始めると、この構想に時間をかけすぎてしまうので、締め切り時期になってばたばたしてしまう。

構想を練るとき、去年の模試問題は絶対見ない。見てしまうと、それに意識が拘束されて似た問題となってしまうからだ。しかし、ここで不思議なことがある。去年の問題を見ないで構想を練り問題を作るのに、去年の問題と似た問題がいくつかできあがっている。

頻出問題は同じような問題になっても仕方ないのであるが、たまにしか出ない問題なので去年は出していないだろうと思って作った問題も去年と同じような問題になることがある。

きっと無意識がそうさせたのだろう。

                          by ロックン

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