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2008年6月21日 (土)

ふと思ったこと

さっそくのご解答ありがとうございました。このコーナーはこのような形でいろいろな意見を交換する場になるといいですね。今日はひょっとしたら、われわれは(国家も含め)大変な過ちを犯しているのではないかということに気づきましたので述べてみたいと思います。それは、こんなこと勉強してなんの役に立つの,というよく聞く生徒の愚痴を考えていた時のことです。この生徒の胸には実際の生活にほとんど役立たないことを強制的に習わされているという想いが渦巻いているわけでして、いわゆる勉強ですね。学習意欲が全然湧いてこないわけであります。これに対して、われわれも様々な理由付けを行って納得させようとするわけですが、やはりこれはごまかしではないかということです。

日本の教育は現実問題にはほとんど役に立たないことを無自覚に無反省に生徒に強要しているのではないかということです。これを詰め込みといわずしてなんというのでしょう。

学ぶことは本来将来役に立つものでなくてはいけないと思います。いや必ず役に立つはずです。それが何故こうなってしまったのでしょう。それは、始めに答えありき、の教育だからです。教師はただ正解への道筋を誘導しているに過ぎず、生徒は初めからそのことを知っていますので、これは現実問題の解決能力の養成にはなりえません。なぜなら、現実の様々な問題には正解は存在しないからです。答えの無い問題をいかに過ちの少ない手段を選択するかという意思決定の問題になってきます。その時もし他の重要な情報が入っていたら、別の選択肢があったかもしれません。つまり現実はその時その時の限られた情報の中から一つを選び取っていく行為です。そう考えますと、始めに答えありき、の教育では全く現実には役立たないことになります。入試とか資格試験のような初めから答えのあるものには役立ちますけども・・・

例えば、生物の授業を考えて見ましょう。私はよく理科の先生に、実際の植物を取ってきて見せるようにお願いしています。(双子葉類と単子葉類の違い)幸い、私の塾の周りは自然がいっぱいです。しかしそれもよく考えますと、はじめに答えありき、ですね。なぜなら、教師の方でその違いをきちんと整理して説明するからです。本当は、いくつかの植物を雑多に机に並べ、生徒自らでその違いに気づき整理分類できるようにすべきではないでしょうか。その時少々の間違いなんて問題ではありません。

いろいろごちゃごちゃとなってきました。要するにいいたいことは、この21世紀を生き抜く力をつけるためには正解に導き暗記させる教育ではどうしようもないのではないかということです。国家の教育投資における経済効果を見ましても日本は先進国中最下位のレベルに甘んじています。いかに役に立たない教育に国民の貴重な税金を浪費しているかの証です。その点北欧は世界のトップレベル、さすがです。

私は定期テストなども、450点を超えればその先は無理に追及しないようにしています。もっと大切な何かをその代償に失って欲しくないからです。いわゆる、ガリベンにはなってほしくないからです。けれども平均点は大いに気になります。二極化は避けたいですからね。われわれの仕事の性格上、学校の成績を無視するわけにはいきません。(いつか、そうなりたいですけどね、私も弱いです)しかし、それを無自覚に追求しすぎるといろいろと弊害も生じてくるという思いを胸に秘めておくことは大切なように、今の私は思っています。学ぶことは将来必ず役に立つんだと、胸を張って言えるようなそんな授業を確立したいものです。ご批判まっています。

                               廣瀬

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