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2008年8月

2008年8月30日 (土)

いつもながら・・・

県教育長に会ってこられたとのこと、いつもながらご苦労様です。同級生だそうですね。いろいろとコミュニケーションがとりやすくなりいいことだと思います。

高知県の入試制度は、あまりにもめまぐるしく変わっていきますのでなかなか先が読みづらいです。いったい一貫したビジョンはあるのでしょうか。そういうところを是非教えていただきたいですね。

これからもご健闘よろしくおねがいします。

                                              廣瀬

2008年8月29日 (金)

高3以来

 くろしお進学会主催の公立高入試説明会は、県の教育委員会の先生に、来年度の公立高校入試について説明してもらうものですが、昨年度で10回を数えました。

 今年新しい教育長になったので、今日、教育長に挨拶に行ってきました。この説明会を始めたいきさつと、今はいくつかの公立高にも参加してもらって、公立高入試説明会を行っていることを説明しました。少なからずこの催しについて感謝されました。今年も、公立高入試説明会で、生徒のためになる情報を提供してもらえたらと思っています。

 教育長室に私が入っていったとき、教育長は少しびっくりしていました。それは高3以来の再会だったからです。私は少ししゃべりすぎたものの、会えたことをうれしく思いました。

 教育長は私と会った後、今年の学力テストの結果を記者発表するとのことでしたので、早めにおいとましました。

                           by ロックン

ロックンの大いなる疑問について

現在の私は極力生徒の順位は気にしないように努めています。努めているということは、いまだにすこしは気になっているということです。あまりに順位を気にしすぎますと、競争のようになってしまい、私の求めている世界とは離れてしまいます。私はあくまでお互いが助け合うという集団の中で個々がそれぞれにのびていってくれればいいと思っています。一番にはこだわりません。こだわるとろくなことはないように思います。学力は人間の能力の全てではありません。ほんの一部です。その一部分にこだわりすぎますともっと大切な何かが損なわれてしまうように直感的に思います。競争が無いと果たして人間は学ばないのでしょうか。私はどうもそうは思えないのです。いや、逆ではないか、競争をなくした方が人はもっと自主的に学ぶのではないか、最近の私はそう思うようになりました。それは小学生の受験しないコースを教えていますと,いつもそう思います。他と比べるためのテストは全く行いませんが皆生き生きと学んでいます。これが本来の姿なのではないかと思えてきます。教える私達の方もはるかに大きな喜びを味わえます。大切なのは、順番を競うことではなく、学ぶことは楽しいことだと思えることではないでしょうか。そのためには、順位は却って邪魔です。なぜなら、現時点で成績のあまり良くない子にとってダメージこそあれ、なんらいいことは無いからです。競争の無いゆったりとした時間の中で、お互い助け合いながら共に学ぶ喜びを分かち合っていこうというのが今の私の目指している世界です。いつもながら理想に走ってしまいました。現実はまだまだこれからです。

                                   廣瀬

2008年8月26日 (火)

大いなる疑問3

 疑問がさらなる疑問を生んでしまいました。学校において成績を評価するとき、今は、絶対評価になっています。これは、学校における学習指導では、できる人とできない人の入れ替わりがないということを前提としているのではないかとの疑問です。

 すなわち、今の指導法ではクラスで30番の点数を取る人は、1番の点数を取る人に取って代わることはできません。相対評価は、今の成績ランクを追認しただけとなります。教える方が、いちばん成績のよい人といちばん成績の悪い人の入れ替わりがないような指導法をとりながら、生徒同士の成績を比較するのは、得策ではありません。

 そこで、成績の上位の人と下位の人の入れ替わりがない指導法を取っても、絶対評価を採用すると、成績の上位や下位の人が努力して成績が上がればそれぞれを別個に評価できます。

 しかし、私は、今、成績の上位の人と下位の人が入れ替わる余地のある指導法がいいのではないかと思い始めています。

 では、どのような指導法を取れば、下位の成績の人が上位の成績の人に取って代わることができるようになるのでしょうか。

                  by ロックン

2008年8月22日 (金)

大いなる疑問2

 今までの指導に疑問は持ちましたが、今までの指導法が間違っていたとは思いません。しかし、ある疑問を持つことにより、よりよい指導法はないものかと模索し始めたのです。夏期講座中の忙しい時期に、この疑問が急に頭をよぎったのです。この疑問とは、以下のようなものでした。

 塾は生徒の学力を伸ばし成績を上げることに力を注いでいます。だから、在籍している生徒一人一人の力が伸びることはまちがいないと思っています。

 たとえば、1クラス10人の生徒がいるとしましょう。塾に来て勉強すると、一人一人の学力が伸びて全体として生徒の学力がアップします。しかし、10人のうちにもテストで1番の人と10番の人がいますので、全体として力が伸びても、10番の人が1番の人にテストでまさることができません。

 今までの私の指導法はこういった学力の格差をそのまま継承していく指導法なのではないかという疑問を持ったのです。

                                  by ロックン

2008年8月16日 (土)

大いなる疑問

 集団指導において、速く進む生徒に合わせると、遅い生徒がついてこれません。逆に、遅い生徒に合わせると、速く進む生徒は手持ちぶさたになります。ええい、それでは真ん中に合わせようでは、進度の速いほう、遅いほうどちらにとっても、どうかという気がします。

 そこで、集団指導においても、個別指導を取り入れてきたわけです。そして、これが生徒たちの学力を伸ばすいちばんよい方法と思っているのですが、最近この指導法に大いなる疑問が生じたのです。この大いなる疑問を解決したとき、今までの指導法もガラリと変わるのではないかという予感がします。

                            by ロックン

2008年8月14日 (木)

模試作り

 塾の夏休みの間は、くろしお模試の問題作りに精を出すことにしています。やっと1教科仕上げました。あと2教科です。

 模試の効用にはいくつかあると思いますが、その一つは、生徒がテスト問題に慣れることです。慣れていないと答え方が全くわからないということもあるのです。入試は、社会でも考えさせる問題が出ます。だから、それに慣れている必要があります。慣れてくると、出題者の意図が見えてきます。そうなると、ミスが少なくなってきます。

 出題者の意図として、少し意地悪な問題を出すことがあります。これは、入試において差をつける必要上仕方がないことです。それを見抜く力、考える力を子どもたちにつけてもらいたいと思い、模試作りに励んでいます。

                    by ロックン

2008年8月 8日 (金)

センス

 今、甲子園では高校球児が熱い戦いをしています。明日からのオリンピックでは日本選手の熱い戦いを期待しています。私も、夏期講座での熱き戦いは前半戦を終え、一時休戦に入ります。これら熱き戦いにはセンスが必要ではないかと最近感じています。このセンスは一朝一夕にできるものではなく、日頃の練習・試合の積み重ねの賜物だと思います。

 高校球児の試合を見ていると、センスのよい選手たちだから甲子園に来られたのであろうと思いますが、そのセンスのよい選手たちはさらに高いセンスを求められているように感じました。

 三塁に行けるのにためらって二塁で止まったり、三塁に行けないのに判断を誤ってアウトになったり、センスが試合で試され、そしてセンスを試合で磨く、このような形で、勉強でもセンスを磨いていきたいと感じた今日この頃です。

                          by ロックン

2008年8月 5日 (火)

ぼっちゃん

 関西で学生時代を過ごしていたころ、ラジオで関西の落語家が「かめののろいの話」などと言って、人を笑わせていました。その印象が強かったせいなのでしょうか。私も「ぼっちゃんの話」とか「播州皿屋敷」とかで子どもたちを笑わせています。

 今、授業の始まる前に子どもたちと、夏目漱石の「坊ちゃん」を読んでいます。「坊ちゃん」は明治39年に発表された作品ですので、多くの漢字が出てきて、言葉の勉強になります。この年になって読んでも面白いのです。これがすんだら、「伊豆の踊り子」を子どもたちといっしょに読みたいと思っています。

                       by ロックン

2008年8月 2日 (土)

夏期講座③

 夏期講座中は好きな読書はできません。ただ、小学生の授業での国語の長文が読書欲を少し満たしてくれます。

 この前、授業で、「日本で、わたしたちのもつ語彙がずいぶん落ちてきている」旨の文章を読みました。「日本語の漢字はわたしたちのなかに連想する力をふんだんに育ててきた」ということです。しかし、「国際化にともなってカタカナが入ってきて、カタカナのことばは、ことばによる連想の力をそいでしまいやすい」とのことでした。

 そう言えば、私も授業で、「帳面」という字が読めない生徒に帳面を見せ、「これは何?」と聞くと、その生徒は「ノート」と答えました。別の生徒にも聞くと、この生徒もノートと答えました。この生徒は「帳面」ということばは知っていましたが、それはおばあさんが使っているのを聞いたからだそうです。お母さんは「帳面」ということばは使わないそうです。

 「帳面」ということばを使わなくなると、「ちょうづらを合わせる」という意味がわからなくなり、ことばによる連想が乏しくなってしまいそうです。

                        by ロックン

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