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2008年9月

2008年9月30日 (火)

読解力

 今日、書店で、読解力についての本が目につきました。早速買おうと思いましたが、まだ、模試も完成させていないのにと思い、買うのをやめました。しかし、拾い読みをして帰ってきました。拾い読みですので、その本の著者の考えについて断定できませんが、その内容は塾で使っている国語のテキストをやっても読解力はつかないというものでした。そして、どうやったら読解力がつくかについて書かれていました。

 塾のテキストの国語の文章は、ある作家の文章の一部を取り出したものです。それをやっても読解力はつきません。読解力がついている人がやる問題なのです。というような考えもありやに思えました。

                          by ダジャマン

2008年9月29日 (月)

フレーズ

 今日、「一ヶ所にとどまるな」というフレーズが浮かびました。一ヶ所にとどまるとよどみます。よどみは弊害を生みます。

 よどみを生まないためにはどうしたらよいでしょうか。もちろん例外もあるでしょうが、一ヶ所にとどまらないことだと思います。身近で言えば、一つの部屋では一ヶ所にいつも座らないこと、いる位置を変えること。いくつかの部屋で言えば、活動する部屋を一ヶ所に限定しないこと、いくつかの部屋を利用して活動すること。目を遠くに移してみると、一つのことにとどまらず、常に新しいことにチャレンジすること。そうすることによって、よどまない、新しい流れが生じると思ったのですが、うたかたの思いつきでしょうか。

                     by ダジャマン

2008年9月27日 (土)

失言

 政治家は失言をします。それは、多くの人々が聞いていますし、記録として残りますから、特にそうだと思います。塾教師はどうでしょうか。きっと失言をしていますし、言い過ぎのこともあるでしょう。それに気がつかないのは、記録にとられていないし、あとで指摘されることもないからでしょう。しかし、失言して子供たちを傷つけてはいけないのですから、常に失言や言い過ぎには注意しながら言葉を使わなくてはなりません。最近、私自身、失言したことが気にかかり、反省をこめて、このような文章を書いてみました。

                 by ダジャマン

2008年9月26日 (金)

普段

 某塾団体のホームページの内容の一部作成をお願いするために、くろしお進学会の佐川の会員塾に行ってきました。普段、市内から車で出ることが少ない私にとって、車で市外に行くのは不慣れで、約束の時間に着くかどうかひやひやものでした。

 それは言い訳ダジャと言われそうですが、事実そうなのです。佐川で1時間あまりの話し合いの上、いいものができそうで、安心して帰路につくことができました。

 帰ってから、私学の説明会の資料の整理をし、次に公立高入試説明会の詰めの段階に入ろうと思ったとたん、まだ10月の模試を作っていないことを思い出しました。模試は明日からつくることにし、今日は授業が終わってから、ビデオに入れたスパイダーマンでも見ることにしましょう!

                          by ダジャマン

2008年9月25日 (木)

ふたり

 授業中に、塾生ふたりから続けて休むとの電話がありました。私自身1回1回の授業が勝負だと思っていますから休まれるとつらいのです。休む理由をまことしやかに言いますので、「おかあさんは」と言うと、「今、手が離せない」とのことです。「お母さんから電話してくるように」と言うと、「遅れても塾に行きます」とのことでした。『来れるのなら、休むなんて言うな』と一人憤慨して授業を続けました。

 今日は精神的に疲れたなと思いながら帰宅し、テレビのスイッチを入れると、ジュリーが「危険なふたり」を歌っていました。つい誘われて踊ってしまいましたが、歌の途中で息切れし、へたり込みました。踊りが得意でつけた名である「ロックン」を返上しなければならないなと思った次第です。

                      by ダジャマン

2008年9月24日 (水)

入試問題

 高知県の国立中の入試問題が手に入らないと、一昨年も昨年も今年も保護者から言われています。3年前までは学校が入試問題を配布していたのに、一昨年から配布しなくなったのです。どうしてだろうかと、いろいろな方面から学校に問い合わせをしてもらい、何となくその理由がわかってきました。入試問題がほしいと思っている保護者の願いをどのようにしたらかなえることができるか、まさに思案中です。

                          by ロックン

2008年9月22日 (月)

心して

 先だって、ある中学校で実力テストがありました。学校での数学の平均点は惨憺たるものでした。数学の問題が難しかったのです。このできごとで、私が感じたことは、案外学校の先生は塾に期待しているのではないかということです。塾に行っているからこれくらいの問題はできるだろう、これくらいの問題をできるようにできない塾はよくない塾だ、といったことです。これは今まで考えられなかったことです。

 これから先は、塾に期待している学校の先生もいるんだなと思って、心して子供たちを指導していかなくてはなりません。

                  by ロックン

2008年9月20日 (土)

腹筋

 今日、彼岸の入りで、お参りに行ってきました。まず、草取りをしました。根を張った草があり、それを力任せに引っ張ると、根の途中でぷつりと切れ、私は後ろにひっくり返ってしまいました。そして、段差になっている隣とを仕切る低い塀に足を取られ、隣の敷地に腰と頭からこけていきました。

 頭とひじは土につき、腰は少し高めになっている石にあたり、足は塀に引っかかっていました。まさに角度30度で亀の仰向けになった状態です。ひじを突いても起き上がれません。塾の授業で「亀ののろい」なんて話していた罰が下ったのかもしれません。

 足は塀に引っかかり、宙に浮いて使えないので、かた肘を使って起き上がろうとしましたが、腹筋が弱く起き上がれません。脳ばかり鍛え、腹筋を鍛えていなかった報いです。

 ああ、あやうし月光仮面、いや、あやうし、ロックン!今日はもうブログを書けないと思う間もなく、正義の味方が手を差し伸べてくれて、起き上がることができました。

 そこで、正義の味方が一言、「もう若うはないき・・・。」 私は「・・・・・。」

                     by ロックン

2008年9月19日 (金)

全国学テ

 大阪府の箕面市と堺市が全国学力テストの結果を公表しました。このように日本の各地で公表するところと公表しないところが出てくると、子供のためにはどちらがよいかわからなくなってきます。ただ言えることは、公表した市の学テの成績が上がってくる可能性があるということです。

 他府県のことはともかく、高知県について考えてみます。この学テをきっかけに高知県の中学生の数学の学力を上げるにはどうすればよいでしょうか。高知県で各市町村が学テの結果を公表することはあまり期待できません。

 高知県が学テの結果を全国の平均レベルにしようとすることは、他の都道府県もそのようにしようと考え努力しますから結局、高知県の位置は変わらないかもしれません。こう考えてくると、悲観的になってしまいます。

                          by ロックン

2008年9月18日 (木)

公立高入試説明会3

 今日、公立高入試説明会は今年もあるのですかとの保護者からの電話がありました。この説明会は当初、高校再受験生や不登校生のために始めたものであることを、少しですが、その保護者はご存知でした。

 10年前に、この説明会を開きたいと県教委に申し出たときは、各中学校で説明会を開いているのでとか、塾団体の主催では、という理由で一度は断られました。しかし、高校再受験生や不登校生には、説明を聞く機会がありませんと粘り強く交渉し、県教委の了解を 取り付けた経緯があります。

 電話の保護者からは必ず行きますということばをいただき、うれしく思った次第です。

                          by ロックン

2008年9月17日 (水)

台風13号

 台風が近づいてくると、いつも塾を休みにしようかどうかで迷ってしまいます。今回の台風13号は中国大陸に向かっているとばかり思っていましたが、方向転換し、日本列島をうかがっています。台風予想進路に日本がすっぽり入り、まさに上陸しそうです。いつも生徒たちには私の念力で台風を曲げて見せると言っています。これは冗談みたいですが、気持ちは本気です。九州南部をかすめ、四国沖を通り、日本列島から遠ざかっていくことを願うばかりです。ああ、私の念力が、、、、、、。

                  by ロックン

2008年9月16日 (火)

作られた競い合い

 今、中国ではパラリンピックが開催されています。この競い合いには、同じ条件という前提があります。この前提がないと競い合いは成り立ちません。

 勉強の場合の同じ条件とは何だろうかと考えてみました。小学生・中学生・高校生はほぼ同じ学年での競争といえるでしょう。果たしてそれを前提とするのが同じ条件といえるでしょうか。きっといえないと思います。だから、勉強の場合、競い合いは成り立たないのではないかと思います。

 しかし、世の中は、行きたい中学・高校・大学に行くには受験があり、作られた競い合いといえども、それに敗れてしまっては希望校に入れません。

 作られた競い合いであることを認めつつ、子どもたちが希望の学校に入れるように応援する塾でもありたいと思います。

                by ロックン

2008年9月15日 (月)

私立中高学校説明会④

 今年の私立中高学校説明会も無事終わりました。これも皆様のご協力の賜物と感謝しております。

 会場には200人を超える保護者・生徒・塾の先生が参加し、盛況のうちに終えることができました。

 今年は、新しい試みとして、私学7校の先生方に壇上に並んでもらい、集団説明を行いましたが、圧巻だったという印象を持っております。私も来年度の入試についての質問をし、思いがけない情報を得ることができました。

 アンケートを読ませていただくと、保護者や生徒の皆さんにも好評だったようで、ほっと胸をなでおろしています。(了)

                        by ロックン

2008年9月13日 (土)

草枕

 夏目漱石の文章に「智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。」というのがあります。この時代では、人々は智に働き、情も深く、そして意地を通す人々も多かったのでしょう。

 今の時代は、「智に働かずに角が立ち。情に棹をささないので流されない。意地は通さず他人事。」となるのでしょうか。 最近問題になっている「事故米」でこんなことを考えてみました。

 「事故米」を食用に転用することによる弊害に智を働かさず、高齢者や病人に対する情も薄く、食の安全を守るという意地もない。こういったことで、「とかくに人の世は住みにくい」ということになるのでしょうか。

                    by ロックン

2008年9月12日 (金)

勉強と学び

静かにではありますが、徐々に学びのスタイルの変革を行っています。それは「勉強から学びへ」ともいえますし、「孤学から助け合いの学びへ」ともいえるかもしれません。「勉強」には、どこまでも強制的でおもしろくなく、いやいややらされるというイメージがつきまといますが、「学び」には、もっと明るく、どこか自発的なイメージを抱きます。

それは、人間にとって「学ぶこと」は、食べることや、眠ることと同じ、本能だと思われるからです。私には、3歳の孫娘がいますが、実に好奇心旺盛でさまざまなものに挑戦し、ものにしていきます。つくづく本能だなあと実感させられる次第です。成長とともに好奇心の対象は変化していくでしょうが、「学ぶこと」は、決してつらくてしんどいことばかりでなく大きな喜びや満足を得られるものと確信しています。

 
ただ、それをさまたげているものとして、次のようなことが考えられます。

① 点数による序列化により、競争を「学び」の中に持ち込みすぎる。
② 一人でもくもくとやることを強制される。
③ 基礎学力不足で内容が十分に理解できない。

 まず①ですが、「学ぶこと」は本来競争とは無縁のものです。逆に競争とは対極の世界といえるでしょう。純粋に真理を追究することであり、そのことにより、知る喜びを分かち合う世界です。知識の獲得を序列化し、競わせることは「勉強」に於いてのみ、なされることです。それは、勉強には、競争に勝つ喜びを導入しない限り、モチベーションが上がらないからです。しかし、敗れた者はしめ出されてしまいます。

次に②ですが、「一人でもくもくとやる」、これも、強制すべきものではありません。人間は社会的動物ですので、わからないことは、お互い助け合うのがいいと思います。一人でやっていますと、どうしても壁にぶち当たりますし、それをのり越えるのには限界があります。友達(場合によっては教師)の援助により、楽しく(・・・)解決していくのがいいように思います。ただ、教師は、甘えや依頼心の助長につながらないよう、注意していなくてはいけないのは、いうまでもありません。このように学びの社会性を育てていくことが、学ぶことは楽しいことだと思える重要な要素だと思います。その根底には、競争ではなく、助け合いの心が流れているからです。

ただ、友達や教師の援助で理解できたことをもう一度、しっかり自宅で復習するという「内化」の作業は、どうしても必要です。

最後に③ですが、ほとんどの場合、このケースはそんなに多くはありません。援助してもらえば、だいたい理解できるものです。ただ、将来の飛躍のためには、土台はしっかりしていることにしくはありません。そのために復習の時間も設定しています。

これから、いい季節がめぐってきます。大いに楽しく学んでいきましょう。   

                                         廣瀬

2008年9月11日 (木)

模擬練習

 夏期講座中、朝から夜まで冷房をかけっぱなしでも風邪をひかなかったのに、夏期講座も終わり、ほっとしたせいでしょうか、風邪をひいてしまいました。鼻声になってしまいました。9月14日(日)の私立中高学校説明会までには、万全の状態で臨みたいと思います。

 私は昔から準備をして事に臨むことにしています。今回も、ある政党の総裁選挙のための討論会を参考にし、どのように集団説明(壇上に私学7校の先生が並びます)を進めていったらよいか考えています。明日、模擬練習をしてみようと思っています。

               by ロックン

2008年9月10日 (水)

 「風」という言葉でみなさんは何を思い浮かべるでしょうか。私は幼いころの映画「風小僧」でしょうか。「ひゅーひゅーひゅーひゅーだれがよんだか正義の風を……」というフレーズを思い出します。

 今、何となく「風」を感じている人は多いと思います。その「風」は、それこそ何となく生じるものでしょうか。それとも力によって生じるものでしょうか。

 今日、朝刊で高知県の「学区制」について、今年中に結論を出すという記事が出ていました。私は何となく「学区制」は廃止されるのではないだろうかと感じています。もしそうなったとしたら、高知市の中学生は今以上に勉強に頑張らないといけません。そうなると、案外高知県の学力が上がるという現象がおきるのではないかと楽観視しています。

                  by ロックン

2008年9月 9日 (火)

私立中高学校説明会③

 今年の私立中高学校説明会の日(9月14日)が迫ってきました。今年は例年以上に力を入れています。なぜかと言いますと、今年は積極的な私学の協力があり、ぜひとも成功させたいと思っているからです。

 私立中高学校説明会は、子どもたちのためにと思って企画したイベントです。それが私学にも受け入れられ、今年度の企画では、私学と12月と7月に2回の話し合いを持ち、よいものができあがりそうです。あとはいかに子どもたちや保護者にこのイベントを知ってもらうかです。

 この説明会で、子どもや保護者に私立中高一貫校のすばらしさを発見したり再認識したりしてもらえたら、企画冥利に尽きると思っています。

               by ロックン

2008年9月 8日 (月)

ひとごと

 最近、大人が自分のことなのにひとごとのように言ったり、ふるまったりすることが多くなりました。自分で責任を取るのがいやなのか、自分のこととして考えるとストレスがたまるからなのか理由はわかりませんが、ひとごとにするのが増えたのは事実です。

 私も知らず知らずのうちにそのようにしているのではないかと考えてみました。自分のことなのに他人事にしてきたことは多々あるものです。ただそれに気づいていないだけなのです。それに気づくのは、他人から直接あるいは間接に指摘されたときなのです。他人から指摘されると反省し、次からはそのようにしないように注意します。

 今考えても冷や汗もののことがありました。私が高校再受験クラスを担当していたとき、高校に出す副申書を私が書いて、中学の先生から高校に出してもらっていました。中学校の先生からある生徒の副申書が出ていないから出してほしいと言われたとき、私はひとごとのように応対し、煙に巻いてしまいました。そのような大事なものを私が出していないことは考えられませんでしたので、他人事のように中学校の先生と接したわけです。中学校の先生から提出を求められたとき、責任者である私のこととして重く受け止めていたらそのようなミスはしなかったのではないかと思っています。あとで、中学校の先生からきつく指摘されましたので、そのときのひとごとにしてしまった自分の心をはっきりと思い出すことができるのです。

                  by ロックン

2008年9月 6日 (土)

大いなる疑問5

 学力を生きる力だと考え、ゆとり教育を考えたのは、ある意味では停滞したものを新たな観点で打破しようとしたのではないでしょうか。私も国がすすめるゆとり教育に賛同し、体験学習をする団体をつくり、活動しました。が、低学力論争により、あえなく後退を余儀なくされました。しかし、今も細々と体験学習を続けています。

 坂本竜馬は世の中を洗濯しようと考え、脱藩の道をとりました。しかし、私は脱勉強の道をとることはできません。この道にとどまりながら、下位の成績を上位の成績にするシステムを構築したいと思います。これを私ができるのかが大いなる疑問なのです。(了)

                       by ロックン

2008年9月 5日 (金)

大いなる疑問4

 下の者が上の者にとってかわれない社会は、いろんな面で停滞するのではないかという疑問が生じてきました。戦国時代には下剋上により停滞していた世の中が動き始め、織田信長・豊臣秀吉と時代を動かす者が現れました。江戸時代は身分関係で上下関係が固定し、世の中が停滞すると有為な人材が出てきて、下の者が上の者にとってかわり、世の中が動きました。そのとき、西郷隆盛は殿様より偉くなっていたように思えます。さらに、福沢諭吉は学問により身分的上下関係を打ち破れると考えました。実利的な学問が単に点数を争うだけの勉強になると、勉強が上下関係を固定させます。その固定により社会は停滞するのではないかという疑問なのです。

 成績の下位の者を上位にしたいという思いは以前からありました。成績下位の者を上位にするシステムを構築することで、大げさに言えば、世の中の停滞を打ち破る新たな人材が生まれるのでは、と思うのです。成績上位の者が人材でないというのではなく、変動しない固定した関係がよどみを生み、停滞を生むのではないかということなのです。

                   by ロックン

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